焼き肉業界に足かけ7年 元ロッテ藤田宗一さんの第二の人生
契約更新のたび「モメる」と言われ不本意
さて、京都生まれの藤田さんは1997年のドラフト3位でロッテ入団。翌98年から一軍で活躍し、防御率こそいまひとつだったが、99年、00年と2年連続リーグ最多登板を果たし、00年は最多ホールド(現・最優秀中継ぎ)投手のタイトル獲得。01年はオールスターゲームにも出場し、ロッテの看板投手のひとりに成長した。
05年には必勝リレー「YFK(薮田安彦・藤田・小林雅英)」の一翼を担い、31年ぶりとなる日本一に貢献。ミスターリリーフといわれた。
「この年はホント、負ける気がしなかった。若手、ベテランの歯車が噛み合い“チーム一丸!”を実感しました」
この年の契約更改で年俸は推定1億3000万円。06年にはWBC日本代表に選ばれ優勝メンバーとなった。だがその後、故障が続き、07年に戦力外通告を受けた。
「不本意だったのが、契約更改のたびに『藤田はモメる』と言われたことです。セットアッパーはマウンドに上がらなくても毎試合、肩をつくらなきゃならないから負担が大きい。それを理解してもらえず、『不振になると年俸がドーンと下がるのは納得できない』って主張してただけ。金額自体にはこだわってなかったんです」
その後、巨人(08~10年)、ソフトバンク(11年)と渡り歩き、11年10月には通算600試合登板を達成するも契約更改には至らず、群馬へ移籍。12年シーズンで引退した。
「野球? もちろん関わりは切れてません。小中学生を対象とした足立区の足立ベースボールスクールのコーチを週2回担当しているほか、国内の野球イベントや海外ではケニア、中国でもゲストコーチをしています。トークイベントもどんどんやっていきたいですね」
千葉県内に奥さんと娘1人の3人暮らしだ。
(取材・文=高鍬真之)