日本人初ミドル級王座・竹原慎二 世界戦1カ月前に肋骨骨折
初防衛戦に負けた時は「人生こんなもんかな」と
試合は王者ホルヘ・カストロが100を超える戦歴で1度もダウンしたことがなかったけど、3ラウンドにボディーでダウンをとりました。練習通りにパンチが入ったので「いける!」と思い、ラッシュしたけど、途中で「倒し切れない」と考え直してラッシュはせず、打ち合うようにしました。再度ボディーにいいパンチを入れても王者はタフで、結局、倒せなかった。
試合は判定で、3対0で勝ちました。「その瞬間」は世界チャンピオンになったことより、「12ラウンド殴り合った!」ことがうれしかったですね。「12ラウンドを戦い切ったんだ」という気持ちが大きかった。社長はデビュー戦から見てくれて、勝つといつもリングに上がってもらってましたけど、その日も上がって、すごく喜んでくれました。
世界王者になった自覚は現役の頃は持てませんでした。すぐに防衛戦があるし、目のケガとかいろんなことがあって、余韻に浸れる余裕はなかった。引退してから「俺は昔、世界王者だったんだなぁ」と思ったくらい。目のケガの後の防衛戦に負けて、「俺の人生こんなもんかな……」と思いました。
その試合で引退してから二十数年。今も社長とはお付き合いがあり、たまに食事をご一緒しています。僕の「その瞬間」をつくってくれた恩人のひとりですね。
(聞き手=松野大介)
▽たけはら・しんじ 1972年1月、広島県生まれ。89年にプロボクサーデビュー。ミドル級日本王者、同級東洋太平洋王者を経て95年12月、WBA世界ミドル級王者に。翌年初防衛戦に破れ引退。その後「ガチンコ!」(TBS系)の「ファイトクラブ」企画などタレント活動やジムを経営。