たけしが楽屋にきて「兄さん、舞台を見せてくださいよ」
「おまえ、名古屋だろ」
「デン助劇場」の大宮デン助先生に憧れて、弟子入りを志願すると、こう言われたんだ。
「名古屋には名古屋城ってのがあるよな。そのてっぺんには金のシャチホコがあるだろ。でもその下は石垣が支えてる。シャチホコになりたいんだったら、おまえ、まずは一番下の石垣になれ」
感動したね。それで弟子入りが認められたんだ。だけど、先生はマッチに火をつけて差し出すタイミングから、夏にうちわであおぐスピードまで、本当に厳しいんだ。初舞台でも、緊張でセリフが出てこなくなっちゃって、舞台上でグッとにらまれたりしてね。
でも、2、3年ひたすら頑張ってたら、デン助の息子、二枚目の義夫役になれたんだ。若手トップのポジションだよ。もうこの世の春だったな。浅草を歩けば女の人からキャーキャー言われるし、チンピラどもも頭を下げてくるんだから。
しかしその頃、「デン助劇団1000本記念」って若手中心の公演を打つことになってさ。その時、先生は俺を主役にしてくれなかった。主役は他から来た芸人がやったんだよ。悔しいから俺は思いっきり頑張って、主役を食ってやった。満員の松竹演芸場はドッカンドッカン受けてたよ。
意気揚々と楽屋に引き揚げると、先生に「てめえ、バカ野郎、脇役が主役を食ってどうすんだ!」と怒鳴られた。それでこっちも頭にきて「冗談じゃねえ!こっちだってデン助一座でやってきたんだ。なんでよそ者を立てなきゃいけねえんだ」ってケンカになってね。結局、辞めることになった。
デン助劇団には5年くらいいたのかな。その後は知り合いのツテで、渋谷の道頓堀劇場に行った。杉兵助さんと九九八十一という男と「道頓堀トリオ」というのを始めたんだ。杉兵助さんは、後にコント赤信号と一緒にテレビに出て人気になるんだけど、当時からすでに歯が1本しかなくてヨボヨボでね。ストリップの幕間のコントだったけど、すごく受けたよ。