令和初の真打ち昇進 イケメン落語家・瀧川鯉斗の異色経歴
対談の後編は鯉斗さんの前座時代のエピソードや令和時代の若者論、そして落語界の課題などについて訊く!
原田「前座修業は厳しかったですか?」
鯉斗「住み込みではなく、週6で鯉昇師匠の元に通いました。落語家は毎日着物を着るので、まずは着物の着方や畳み方から覚えないといけないのですが、自分でできるようになるまでは大変でした。一応、給金は出て、1日1000円。1カ月で約3万円。それが風呂なしアパートの家賃。師匠たちにくっついていれば、ご飯は食べさせてもらえるので飢えることはありません(笑い)」
原田「若いのによく我慢できましたね」
鯉斗「落語界はアルバイト禁止なんです。『バイトをする時間があるなら落語を覚えろ』と怒られます。お笑い芸人の世界とはちょっと違いますね」
原田「縦社会ゆえの独特の人間関係や厳しい修業もあると思うんですけど大変だったのでは」
鯉斗「どんなことも落語に通じると思えばこそです。弟子になるときに『暴力と盗みは破門だ』と言われていたので、反抗して殴ったりすることももちろんありません(笑い)。18歳で入門して25歳で二つ目に。昨年真打ちに昇進しましたが、暴走族もコックのアルバイトのときもそうで、これまで縦の関係を重んじる世界でしか生きていないので落語界の独特のしきたりや縦社会もまったく苦じゃないんです。好きで身を置いているわけですから」
原田「最近の若者は苦労するのを嫌がる傾向がありますけど正反対ですね」
鯉斗「落語って肉屋とか魚屋とかと違って生活になくてはいけない仕事ではない“水物”の商売なんです。なので、新しく入ってくるプレーヤーに対しても『辞めたければどうぞ』なんです。辞めればライバルは減りますし、現に辞めていく人もたくさんいます。今の若い子たちは、叱られるとすぐに辞めてしまったり、『うわっ、ウゼェ』と思って拒否したりする子が多いですよね。でも、僕は時には上からガツンと言われないと成長できないとも思っています」
原田「発想が昭和ですね(笑い)。僕は2014年に『マイルドヤンキー』という言葉を定義して流行語にもなりましたが、鯉斗さんがヤンキーだった時代と今の時代のヤンキーでは何か変わった点はありますか?」
鯉斗「僕は今36歳ですが、僕たちの時代のヤンキーは基本的な挨拶や『ごめんなさい』『ありがとうございます』『よろしくお願いします』など最低限のコミュニケーションは取れる人が多かったと思うんですよ。今、ヤンキーと呼ばれている子たちって、上下関係がきちんとしていないからか、挨拶もできない子が多い気がします。外見はイケイケでヤンチャかもしれないけど、感性的には根暗な感じでパッションもない。もちろん個人によりますけど、芯がない感じはしますね」
原田「令和を牽引する落語家として、令和の時代の落語界はどうなっていくでしょう」
鯉斗「確かに一部では落語ブームなのかもしれません。人気の落語家には多くのお客さんがついていますし、最近、自分と同世代やもっと若い20代のお客さんも来てくれているように感じます。ただ、全体的にはまだまだ盛り上がっていない。もっと多くの人たちに生で落語を見てほしいし、そう気張らずに寄席に足を運んでほしいですね。自分というフィルターを通して、落語って面白いなぁ、味わいがあるなぁと感じてもらえればうれしいです。僕自身は色気のある人情噺を突き詰められたらと思っています」
(構成=高田晶子)
▽瀧川鯉斗(たきがわ・こいと)落語家。落語芸術協会所属。1984年生まれ。愛知県名古屋市出身。高校時代からバイクに傾倒し、暴走族総長を経て2002年、役者になることを夢見て上京。新宿の飲食店でアルバイトをしているときに現在の師匠・瀧川鯉昇の落語独演会を見て弟子入りを直訴。05年に前座。09年4月、二つ目昇進。19年5月、令和初の真打ちに昇進。