「芸能界の七不思議」謎に包まれていた高倉健さんの私生活
京都の河原町にあった白木のカウンター8席ほどの洋食屋では、好きなビフテキを主人と雑談しながら食べていたという。ハワイの東南アジア料理店のオーナーも、年に数回の来店でも「健さんルーム」なる特別室を常に用意していた。
私自身、普段の健さんを生で見たのは1回。東映東京撮影所の近くのガソリンスタンドでスポーツカーにガソリンを給油中の健さんを道路の反対側から見た。ジャンパーに濃いめのサングラス。スクリーンを見ているようなオーラにあふれていたのを覚えている。
■1987年にはエイズ死亡報道
「芸能界の七不思議」に入るような健さんの私生活。それが突然、大騒ぎになる事態になったのが1987年のエイズ死亡報道だった。
「パリの病院でエイズで亡くなった日本人がいる」といった話が一報だったと思う。そのうちに「健さん」の名前が独り歩き。パリの病院に確認するもフランス語での対応に往生した。
海外に出ると行き先も分からなければ音信不通状態になる健さん。日本の関係者に聞いても「分からない」という人もいれば、「本当に健さんなの」と確認する人もいた。