世界で最も“かわいい”大統領・ムヒカの言葉に見る日本の今
“世界で最も貧しい大統領”として知られたウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領のドキュメンタリーが公開されている。「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」(KADOKAWA配給)というタイトルをもつ。題名に「日本人へ」とあるように、本作は意外や日本映画だが、なかなかに見どころある作品になっていた。今のところ都内では3館、全国でも6館のみの限定公開だが、集客もまずまずのようだ。見終わって、筆者の胸にぐさりときたものがある。テーマどおりに今の日本が見えてくるからである。
ムヒカは、2012年にブラジルのリオデジャネイロで開催された国連会議での演説が一躍世界で脚光を浴びた。「経済主導による発展の歴史は、果たして人々にとって幸福なものなのか」。そのことを中心に据えた内容を落ち着きながらも力強い話しぶりで訴えかけた。この言葉が世界中の多くの人々に響き、日本国内では絵本にも取り上げられた。映画でもそのときの様子が簡潔に描かれる。
■秋田犬のような愛嬌ある表情
彼について頭の隅にあったのが、表情である。優しげでくしゃくしゃっとした目元から顔全体の造作が愛嬌のある秋田犬のように見えたものだ。この顔は日本人好みである。とくに女性に好かれるのではないか。単なる優しさ、愛嬌というより包み込むような安心感がある。ただ、この顔が一筋縄ではいかない気もしていた。人はいきなり、このような顔になれるわけがない。必ず理由がある。映画はそこを掘り下げていくわけではないが、いくつものヒントを与えてくれた。
映画はムヒカが若いとき、極左ゲリラの一員であったことを描く。チェ・ゲバラとも面識があった。1960年代のことだ。政府側と銃撃戦も行う。70年代はじめからは同志でもある妻と一緒に12年間、牢獄生活を送る。収監前の風貌は精悍そのもので典型的な左翼活動家のように見え、ここ数年とはまるで違う。面影はあるが、別人である。
その後、ドイツ統一、ソ連崩壊が続く激動の時代を迎える。ゲリラ活動を行い、共産主義的な姿勢を貫いてきたように見えるムヒカにも大きな変化が訪れてもおかしくはない。彼は選挙戦を経て政治活動の足場を固め、徐々に政治の中枢に入っていく。もちろん、政治家だから清濁併せ吞みつつも、共産主義的姿勢との距離感も変わらざるをえなかったと思える。ゲリラとしての精悍さから柔和さを加味していった今のような穏やかな顔つきになったのは、思想の変容があったからではないだろうか。共産主義者から資本主義者へと一気に全転向していくスタイルではない。時代を見据えた柔らかでなだらかな転身とでもいおうか。政治の基本方針として、ウルグアイの人々のことを一番に思う。その根っこに経済的な発展ではなく、幸福の追求を重ねていく過程で、生き方から政治活動、そして自身の風貌までもが劇的な変化を遂げていったような気がしてならないのだ。
本作が描くテーマ 日本人に向けたメッセージとは?
繰り返すが、映画はそこをテーマとして描くわけではない。ただ筆者は、気になっていた彼の顔の造作に、壮大で深い個人史の積み重ねがあるに違いないと思っていたので、映画がたどるムヒカの姿からそう感じたに過ぎない。
本作が日本人へのメッセージとして届けようと意図したのは、国連での演説をはじめとするさまざまな場所で発せられた珠玉のような彼の言葉の連なりだろう。確かにいずれも素晴らしく、胸を熱くさせられる。ただ、ときおり見せる鋭い視線と批判的な視座には、柔和さの中からゲリラ闘士時代の資質が垣間見えるようで、ドキッとさせられた。実のところ、本質は変わっていないのかもしれない。そう思うと、風貌もまた一段と味わい深くなってくる。
人間にとって幸福とは何か。ムヒカが説く幸福とは、よくある理想主義者のお題目などではない。ゲリラ闘争、監獄などを経て、血のにじむ思いで(実際に血を流した)つかみとった思想や生活基盤そのものといえるだろう。人間にとって、根底的で本質的な言葉であるとしかいいようがない。
翻って日本と日本人よ。人間存在を串刺しにするような幸福という言葉を語ることができるリーダーをもっているのか。否、これからもつことができるのか。「日本人へ」には深い意味が込められており、彼我のあまりの差に絶望する人が出てきても不思議ではない。まさに、今の日本が見えてくる作品なのだ。
本作のお手柄は、人々を魅了して止まないムヒカの言葉だけではない。彼の顔の変貌が映像に的確に刻まれていることである。本コラムではそこをつかまえた。当たり前のことだが、映画をどのように見るのかは、人によって全く自由だ。そのヒントを、この映画はいろいろ提示してくれる。非常に好ましい。もっと多くの人に見てほしい作品である。