“星一徹”な昭和の親父の記憶 電話番号売ってひと儲け企む
いや、でも、セイコーの時計というのはある意味、ひとつのステータスであって、飲み屋で財布を忘れてもセイコーの腕時計をはずして後ほど代金を支払いに来るなんてのが日常的に通用していた時代ではあったのです。
さあ、そんな中、えーと俺が10歳くらいだから70年代に突入していたと思いますが、わが家に電話が来ました~!! ワー拍手パチパチパチ~!!
今でこそ1人1台のスマホ(中には3台持ちなんて人もいます)が当たり前ですが、あの頃、家庭に電話が来るということはひとつの一大イベントだったのです。ご多分に漏れず母親がレースのカバーをつけていました。
そして、わが家の電話は父親いわく「宝の電話」だったのです。それは父親いわく「いいか! お母ちゃんも子供たちもよく聞けよ!! この電話はわが家を金持ちにしてくれる電話だぞ!! なぜなら電話番号が〇〇〇・〇〇・1976、もうわかっただろう、数年後に1976年になるだろ、そーなったら縁起がいいからって大企業からその番号を売ってくださいと札束を積んで頼みに来るんだよ~」と、もうすでに多額の富を得たようなウットリとした目で熱弁する親父……ま、親父の肩を持つわけじゃないけど事実そういうことはあったようです。
その親父の話に家族も魔法にでもかかったように夢見心地になったのだが……あれから半世紀、わが家の電話番号はいまだに売れていません……。
(つづく)