高倉健さんの「東映に来るか」の誘いで役者の道へ
三郎は1946年12月、香川県小豆島で生まれた。小学生の頃から映画が大好きな少年だった。映写技師の長兄が働く映画館に通い、3本立ての映画を見ていたという。
「夢中になったのは、なんてったって東映のチャンバラ映画ですよ。中村錦之助の『紅孔雀』『笛吹童子』ね。黒沢明の時代劇は子供にはわからなかった。中学1年の年に大阪・吹田市に転居してからですか、黒沢映画にハマったのは。その後、植木等に参っちゃって、俳優になってからも尊敬し続けた偉大な先輩です」
中学卒業後、役者を志して上京、アルバイトをしながら俳優の養成所に通う。
「植木さんと同じくらい尊敬してたのが三木のり平さんで、のり平劇団に入りたかったんだけど入れなかった。当時、青山にユアーズという深夜営業のはしりのスーパーマーケットでバイトしてたのよ。近くの喫茶店の常連になったら、そこが高倉健さんの行きつけの店だった。休憩時間に行くとよく会うんだ。スターもけっこう暇なんだと思いましたよ。店のママさんが『サブちゃん』って呼んでたんで、健さんの方から『サブちゃんは何してるんだい』と声を掛けてくれてね。『ユアーズでバイトしてます』って答えたら、ママさんが『この子、役者を目指してるのよ』と言うと、健さんが、『だったら東映に来るか』って誘ってくれたんです。『でも、俺素人ですよ』と言うと、『俺だって最初は素人だったよ』って(笑い)。同じ素人でもモノが違うって言うのよ」