年の瀬に思う…深作欣二監督のヤクザ映画に出会ったこと
毎年、年の瀬になると必ず、わが青春の映画、「ゴッドファーザー」「仁義なき戦い」を思い出す。1972年暮れ、ボクは二十歳になったばかり。大阪ミナミの宗右衛門町にあった舞台付きのグランドキャバレーのショータイムにスポット照明係のバイトをしながら、暇を持て余していた。夜10時から日替わりで、歌手の新曲キャンペーンや奇術ショーやストリップが1回15分間で30分後にもう1回あるだけで、バイト料は1500円ももらえたが(当時の喫茶店のウエーターの日給ぐらいか)とにかく退屈な日々で将来に何の見通しもなく、その日暮らしをするしかなかった。
その年は3回もマフィア一家を描いた「ゴッドファーザー」を見て、映画という魔物にとり憑かれていた。ハリウッドの人気歌手に映画の主役につきたいと懇願されたドン・コルレオーネが、顧問弁護士トムに命じ、大物プロデューサーの邸宅に行かせ、そこの高価なタネ馬の首を切断し、大物のベッドの中に血まみれのまま放り込ませて脅迫する荒業を見せられ、しばらく他の映画なんか見る気も失せたままで、年末を迎えていた。その時、深夜テレビの映画紹介で何度も目にしたのが、正月明け封切りの「仁義なき戦い」というヤクザ映画のどぎつい予告編。菅原文太という斜に構えた侠客面の俳優をしっかり見るのも初めてだった。初詣に行く予定なんか何もなかったが、年が明けたらこの映画は見に行くと決めていた。