城島・国分・松岡「株式会社TOKIO」始動の思惑と勝算
「TOKIOさんには、福島県の農林水産業や観光業のPRにご協力いただいてきました。その際、今までも企画調整課で庁内外の調整をしていたのですが、今回、株式会社を設立するにあたり、課内でTOKIOのお名前をお借りして窓口を作らせていただいたということです。正式な課ではないので、予算が付いたり、課長を置いたりするわけではありません。具体的なプロジェクトは未定ですが、エンターテインメントの力をお借りして、福島県のためにできることを考えていきたい。今からワクワクしております」
ジャニーズに詳しいスポーツ紙記者はこう解説する。
「会社設立の一番の目的は『TOKIO』という名前を残したいということですよ。TOKIOの音楽活動のプロデュースは長瀬がほとんどやっていた。音楽活動に並々ならぬこだわりのあった長瀬は、山口がいなくなったことで“5人じゃないとできない”と自身も退所を決断した。残った3人では、グループでの音楽活動は無理です。すでに3人はそれぞれバラエティー、役者、司会と個人活動が中心となっていますが、事務所としても、『DASH村』の企画などで功績があり、若手にも影響を与えた彼らの名前をブランドとして残すことを考えたのでしょう」