わざわざ挨拶に…ARBのメンバーはとっても律儀だった
「夏枯れの時期なのでダメモトでやってみるか」とちゃっかりソロバンをはじいたのも事実。
「メンバーたちが暴力事件とか起こしたらどうする?」。地引さんは「会場警備の防衛隊(!)を結成してトラブルを未然に防ぎます」と言った。 6日間に計24のパンクバンドが、新宿ロフトのステージに立ったわけだが、毎日が驚きの連続だった。とにかく連日の大盛況! 新宿ロフトの動員記録を塗り替えてしまい、日本のパンク・ニューウエーブのメジャー化
を一気に後押しした。
1979年2月。新宿ロフトの事務所でARB(アレキサンダー・ラグタイム・バンド)のメンバーたちと会った。ボーカル石橋凌、ギター田中一郎、そしてドラムのキース。その時の光景を鮮明に覚えている。表現者がライブハウスのオーナーに挨拶に出向く。そんな律義なミュージシャンは、とっても珍しかったからである。
彼らは事務所の売れセン路線に反発し、主戦場を新宿ルイードから新宿ロフトに移したいと言った。1979年10月に事務所を離れて翌11月の11日。ARBが初めて新宿ロフトのステージに立った。石橋さんは叫んだ。
「これからは新宿ロフトが拠点です。必ず天下を取ります。そしてロフトに恩返しをします!」
(この項つづく)