TBS「0スタジオ おんなのテレビ」で立川談志とコンビ司会
この月曜のやりとりが、番組にとって幸先のいいスタートをもたらしているともっぱらの評判である。
つまり“男女の日替わり司会”という新機軸を打ち出した「おんなのテレビ」にとって、トップバッターの月曜の司会に洋子を抜擢したということは、TBSがいかに洋子に期待していたかということにほかならない。男性司会者の立川談志も同様である。この時期の談志は、高座はもちろん、自らが企画した「笑点」(日本テレビ系)では司会と演出、構成まで担い、映画、ラジオ、著作と最も多忙な時期に差し掛かっていた。翌年には参院選全国区に出馬し、71年に政界入りしている。
山口洋子のコメントがある。
「主婦の方にどう反応があるかそれが心配。談志さんとは何度かお店でお会いしたことがありますが、大変頭の回転の早い方。とにかくもう精いっぱいやるだけ」(昭和43年9月6日付/スポーツニッポン)
余談になるが、立川談志と意気投合した洋子は、後年、談志が落語立川流を創設すると、著名人を対象としたBコースに入門し、「立川談桜」を名乗っている。