沢村忠は“時代の寵児”に…女王・美空ひばりとも親しく付き合うようになった
しかし、結局このドラマ出演は実現しなかった。「サンデー毎日」(1969年9月28日号)は、その顛末をこう伝える。
《この話がいつの間にかTBS側にもれて、騒ぎになった。「沢村選手はウチの専属スター。他局の番組にレギュラーで出るなんてとんでもない。第一、ドラマ一本作るのに、本読み、立ちゲイコを含めて、四、五日はかかる。ケイコをそんなに休まれたんじゃ、からだがなまり、試合ができなくなる」というわけである。(略)沢村だって落日のときはある。すでに映画にも出演して、結構演技者としても“商売になる”ことが証明ずみであり、ここらで二足のワラジをはかせても……といった欲得ずくも重なっているらしい》
結局フジテレビは沢村を諦め、マジシャンの引田天功(初代)にシフト。沢村に充てる予定だったレギュラー出演者の椅子を与えた。この珍事が、もし実現していれば、沢村忠は早々に俳優復帰を果たしていたかもしれない。野口プロの芸能部設立は、違った形で実現していたのではないかと筆者は見ている。
「沢村さんと地方巡業を一緒に回るでしょう。試合は連日連夜あるんだけど、時々オフが入る。そういうとき、俺たちは観光を楽しんだりするんだけど、沢村さんだけはマネジャーの遠藤さんと東京に戻って、テレビや映画の仕事をパパーッとこなす。それでまた、次の巡業場所で合流するわけ」(元目黒ジムのキックボクサーで、かつて沢村忠の付き人を経験していた山木敏弘)