Snow Man主演映画「おそ松さん」興収早々10億円超えのヒットの要因を深堀りする
「映画 おそ松さん」が4月3日、公開10日目にして興収10億円を超えた。ヒットと言っていい。赤塚不二夫さん原作の「おそ松くん」に登場する六つ子たちのその後の姿を描いたテレビアニメの「おそ松さん」が始まったのが2015年。そのアニメを基にしたのが、今回の実写作品「映画 おそ松さん」である。
人気アイドルグループのSnow Manが六つ子を演じる。Snow Manは9人グループなので、3人は別の役柄で登場する。観客の大部分は彼らのファンだという。
もちろん、どのような作品の興行であれ、出演する俳優たちのファンだけで成立することはありえない。だから大部分と記したが、それでも特定的な客層(女性が主流)だけで10億円の興収(入場人員では75万人)を上げるのは並大抵ではない。それを可能にしたのは、ファンの中心をなす女性たちの映画に向けた熱量の大きさだ。
前売り券を何枚も購入した人も多いと聞いた。スタート時から映画館で配布された入場者プレゼント(入プレ)の存在も大きい。初日の3月25日(金)の興収が、26日、27日の土日各日を上回ったのは数量限定の入プレがあったからだ。
Snow Manのファンは彼らの成長を見守り、自身もともに時を重ねてきた思いがあるのだろう。彼らを支える気持ちが非常に強い。それが今回は映画に向かったわけだ。
これはSnow Manに限らない。アイドルやタレント、俳優らへの近年におけるファンの応援は具体的な行動に顕著に現れることも多い。繰り返すが、個々人の熱量、スケールが、かつてより一段と大きくなっていると感じる。そうでなければ、10日間で10億円という数字は説明がつかない。
今回の実写版ではテレビアニメ「おそ松さん」のファンが少ないと聞いた。となると、作品の中身と映画の客層をめぐって、奇妙なねじれ現象が起きている気もする。
Snow Manのファンのなかには「おそ松さん」の世界を初めて知った人も結構いるかもしれない。どのように見たのか、非常に興味がわく。ファンの気持ちを代弁すれば、目当ての俳優がどのような演技をしていたのかが大きな要素だとは十分理解できる。ねじれ現象とは悪い意味で使ったのではない。作品というものは外部に開かれていることが重要だ。作品へのきっかけ、入り口はいかようであっても、映画との出会いの場があったことが大切である。
一方でファン中心に支えられる興行に対して、批判的な声もある。これはアイドル的な人気を博す俳優たちを起用することが多い邦画の実写作品への批判にもつながる。
ファン目当ての興行を目指す企画意図などを懸念するものだろう。もっともな意見だと思う。以前から邦画はこの傾向が強い。特定層向けであっても何らかの製作上の工夫をして、より広い層への訴求性を獲得すべきというのが、筆者のいつもの考え方だ。これが、なかなか難しい。
「映画 おそ松さん」は見た限りでは広範囲な層への訴求性はそれほど高くないと感じた。それでも、くすくす笑ったのは事実だ。それは六つ子のそれぞれの突拍子のない生き方に、チビ太とトト子が、その都度ツッコミを入れる場面だ。六つ子と2人はボケとツッコミの漫才のような趣で、この調子が結構長く続くので比較的見ていられる。
そうは言いつつ「これは実写」だとか、作品の「エンド役、クローズ役、ピリオド役」の登場とか、映画の構造自体に触れていく「メタ作品」的な要素も含めて、多くの人に受けるかどうかわからないので、お勧めはしない。だから、Snow Manファンの意見を聞きたいと思ったのである。
ここで結論を言ってまとめる必要はないが、映画にはどのような形があってもいい。とはいえ、どうしても付け加えたいことはある。興行を重視するあまり、一つの方向性に凝り固まった企画、俳優起用、製作手法を続けていくと少なからぬ人の失望を生み、映画は衰退の道を歩みかねない。
ファン向けの作品があっていい。ファンの応援が興行を支える構造もある。いいことだ。そこから、客層がより広がる中身をもつ作品があれば、なおのこといい。ただそのような方向性が固定化し、主流になってしまうことを恐れる。
アカデミー賞でもよく言われた「多様性」はさまざまな意味をもつ。映画の細部から全体像、形態まで、広範囲に及ぶものだろう。映画の可能性とは一つの固定的な方向性、枠組みからは生まれえない。多様性の意味は非常に深いように思う。