天野ひろゆきさん「これからという時にゴメンな」人生を変えたがん闘病中のマネージャーのひと言
屈辱だと思ったアイドルの水泳大会で大揉め
アイドルの水泳大会の仕事に、当時は芸人がにぎやかしで出るじゃないですか。現場に行くと僕の出番が、アイドルの女の子が渡るでかい発泡スチロールの板を水中で支える役。それが屈辱でねえ。
当時、ウドちゃんは派手さで目立っていたけど、僕は輝けていなかったこともあって、「俺は発泡スチロールを支えるために芸人になったんじゃないから、出ない!」と。矢島さんは「仕事だからやりなさい」と言い合い。でも、僕は楽屋から出なかった。テレビを見ると、ウドちゃんがノリノリで発泡スチロールを支えてた(笑)。考え方が違うんだなあ、と思いました。
これは後々わかったんですけど、ウドちゃんだけにきた仕事を僕に回してくれたり2人の仕事にしてくれていたのに、僕はそれがわかっていなかったんですよ。
僕らがブレークした時は本当に喜んでくれました。最初の、ウドちゃんの爆発力で売れた時は「僕のことは認めてくれてないんじゃないか」という感覚もあって反発していたけど、伊集院光さんの後枠で僕一人でラジオをやらせてもらえたり、僕らの単独ライブもつくってくれたりと、少しずつ信頼ができた。今思えば何でも話せる家族のようなマネジャーさんでしたよ。
「ウリナリ」の現場でも「ヤジー」と共演者やスタッフに呼ばれて親しまれていました。一度、テレビに出そうとしたら、本気で怒ってましたよ。「おまえらはテレビに出たいだろうけど、俺は出たくないからマネジャーやってるんだよ!」と。お酒が大好きで、飲むと上機嫌でした。