ピンク・レディーが駆けた4年7カ月 稼いだ500億円は闇へ、衝撃の紅白辞退、全米進出の賭け
事務所に恵まれなかったナゾ
ピンク・レディーは76年、日本テレビ系「スター誕生!」で見いだされた。この時、スカウトしたのは、吉田拓郎と結婚する前の浅田美代子らを抱え、芸能プロをやっていた相馬一比古。2人のために76年に設立された「T&Cミュージック」のプロデューサーとして辣腕をふるった。
もう一人は「T&C」社長で経営面を仕切った貫泰夫。貫は大物総会屋、小川薫の中学の同窓だった。東京で証券会社に勤めてから再会したのが縁で、小川の出資などで「T&C」を設立し、借金を抱えていた相馬の芸能プロごと吸収して相馬とともにピンク・レディーを世に送り出した人物だった。
相馬は「スタ誕」でスカウトした時のことを月刊誌でこう振り返った。
「これなら、いけそうだという予感を持って『スタ誕』の決戦大会に、私は出かけていったんですね。イチかバチか、あたってくだけろ、といった気持ちでした」
この時、人気だったのは14社のスカウトの目に留まった清水由貴子だった。2人組に興味を持ったのは8社。中でも熱心だった相馬とビクターの担当だった飯田久彦に出会ったことが2人の運命を変えた。
一方、貫は音楽業界特有の金銭感覚に翻弄され、ピンク・レディーの大フィーバーの陰で経営は火の車になっていく。当時をこう振り返っている。
「世間では500億円儲けたとかいわれますが、実際にT&Cに入ったのは50億円くらい。それも制作費やなんだかんだで出て行って、ぜんぶ消えてしまった……もう口座が維持できなくなってパンクしてやめたということです」(「週刊大衆」83年5月23日号)
寝る間も惜しんで稼ぎまくったピンク・レディーの2人。では満足に給料をもらっていたのだろうか。