柳昇師匠は自衛隊慰問でF15に乗せてもらうと「こんどやったら勝てるね」
歌武蔵が敬愛する先輩、柳家喜多八に「もっと会をやらなきゃいけない」と言われ、2人で新たな会を始めるにあたって、もう1人入れて3人会にしようと意見が一致した。
「新作もできるということで、(柳家)喬太郎さんに頼んだら快諾してくれて、喜多八兄さんが会の名前を<落語教育委員会>と付けました。当初は小さなホールでやってましたが、3回目に演芸専門のイベント会社の社長が見に来て、以後のプロデュースを引き受けると言ってくれた。それから、ちょっと大きなホールに移ったわけです」
3人会は大成功で、2012年には3人共著の本も出したが、喜多八ががんに侵された。
「しまいには車椅子で移動しなければならないほど弱ってました。亡くなった時(16年5月17日)はショックでしたね。会をやめることも考えましたが、イベント会社は続けたいというので三遊亭兼好さんに入ってもらい、続けています」
歌武蔵が絡んでいる会が、もうひとつある。
「デブサミットですね。これはもともと上方落語の桂三金さんが大阪で始めた会で、1回目に僕が東京のデブ代表として出演しました。参加資格は体重が100キロ以上あること(笑)。その後、(林家)きく麿や(古今亭)志ん陽らを引き入れて、東京でも開催するようになって、時には上方の連中を呼んで、デブの東西交流をしてます」