柳昇師匠は自衛隊慰問でF15に乗せてもらうと「こんどやったら勝てるね」
「危篤の知らせを受けて病院に行って、臨終に立ち会えました。たくさんの恩を受けた師匠です。柳亭市馬会長の鶴の一声で協会葬ということになって、盛大な告別式でした」
コロナ禍の間、落語家も葬儀が執り行えなかったことを思うと、いい時に亡くなったとも言える。
「形見分けがありまして、師匠は小柄でしたから、高座着、袴、洋服、どれも僕の寸法に合う物なんてありませんよ(笑)。帯だって、ひと巻き足らない。それで、2代目円歌から譲り受けたという年代物の懐中時計を頂きました。これが後で値打ち物とわかって、うれしかったですねえ」
師匠を亡くした悲しみを乗り越えて、頑張っていたところにコロナ禍である。
泣きっ面に蜂だが、そんなさなかに運命の出会いがあった。
「忘れもしない、21年2月のことです。故郷の岐阜で、僕の同級生のお父さんがごひいきで、今嫁を紹介してくれました」 =つづく
(聞き手・吉川潮)