坂本龍一さんは政治に従属を強いられる芸術の「居場所」を案じていたのではないか
先の日曜(4月2日)の夜、長時間のテレビ収録を終えたぼくは、ゴスペラーズ黒沢薫邸に向かっていた。日付が変われば黒沢くんは52歳になる。おめでたい。気の合う仲間で集って祝おうじゃないか。奇しくも、昨秋他界したぼくの父親も同じ日の生まれ。音楽の愉しみを教えてくれた父が初めて黄泉で迎える誕生日に、いまを生きる音楽仲間たちとグラスを合わせるのは悪くないアイディアかも。そんな自画自賛的な気持ちもあった。
「坂本龍一さん死去」
タクシーの後部座席で開いたスマホのポップアップ通知に息を呑んだ。誘導にしたがって本記事を読むと、すでに先月28日に死去して家族葬も営まれたとあるではないか。享年71。黒沢邸に着いてもその話題でもちきりだった。
坂本さんが癌の「ステージ4」であることは、昨年6月に公表されていた。ぼくはラジオ収録でNHKに15年近く通っているから、昨年9月、同局内の509スタジオが彼のためにずっと押さえられていたことも知っていた。容赦なく体力を奪う病魔との力くらべのような命懸けのピアノ独奏が、8日間に分けて509で撮影され、年末の配信コンサートに結実した。それが最後のライブパフォーマンスになるという悲壮な覚悟が本人にはあったという。