桂由美さん追悼秘話「ウエディングドレスは平和の象徴」だった…中学時代に下町大空襲を目撃
「戦後、下町大空襲って呼ばれる大惨事なんですが、当時私は14歳。皇居そばの共立高等女学校中等部2年生(現在の共立女子中学高校、中学2年に相当)で級長をしていました。自宅は東京の東端、小岩にあり被害はなかったものの、学徒勤労動員先の沖電気・田町工場が気になって仕方ありません。それで、夜が明けてから、母が『危ないから行かないで!』と言うのも振り切って朝7時半ごろに家を出たのです」
電車は小岩駅から西へ2つ目の平井駅まで。そこから先、亀戸駅、錦糸町駅は焼失しており、やむなく徒歩で両国駅へ向かった。
「黒焦げのマネキンだと思ったのが焼死者だと気がついたのは、途中で丸焼けになった馬が胴体から真っ二つになって、ピンク色の腸がはみ出ているのを目の当たりにしたからです。ゾッとしました。改めて見回すと、焼死体だらけ。怖くて怖くてその場にへたり込んでしまいました。そばの掘割(水路)はもう死体の山ですよ。空襲で炎に包まれて逃げ道がなくなり、みんな飛び込んだのでしょう」
田町には約4時間がかりで正午前に到着。だが、帰り道を心配した担当の教師に促され、すぐに帰宅した。