桂由美さん追悼秘話「ウエディングドレスは平和の象徴」だった…中学時代に下町大空襲を目撃
「帰り道も来た時とほぼ同じ道筋のはずですが、なぜか記憶がないんです。それほど恐怖に打ちのめされてたんだと思います」
■「軍国少女」が一変
その後、二十数人のクラスメートのうち5人が犠牲になったことを知る。
「それまでの私は、特攻隊の奮戦を新聞やラジオで知り、女子であるにもかかわらず『次は私だ!』とばかりに指先を切って血書をしたため、当時の海軍大臣に送ったこともあるほどの『軍国少女』でした。でも敗戦後、世の中が一変してしまうと、『あの戦争は何だったのか?』と自問自答してばかりいました」
共立女子大に進学し、演劇活動に夢中になった時期もあった。しかし卒業後は家業の洋裁学校の講師となり、1960年から約1年間、フランス・パリに留学。帰国後、ウエディングデザイナーとして独立し65年に日本初のブライダルサロンを開業した。以来、最前線で活躍してきた。
78年には、来日したフランスの著名デザイナー、ピエール・バルマン氏が視察に訪れ感嘆した。