クリストファー・ノーランと野田秀樹 ふたりは鳴き声を異にする〈炭鉱のカナリア〉どうしなのかもしれない
広島市の松井市長は、パレスチナを招待しないのは「日本政府が国家承認していないから」と主張しつつ、イスラエル招待で予想される強い反対運動を見越して式典中の市民立ち入り禁止区域の拡大を決めるなど、事前の策にも余念がなかった。
一方の長崎市だが、鈴木市長は式典前日(8日)の記者会見で、イスラエル不招待について「政治的な理由ではなく平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで式典を円滑に実施したいという理由」と説明。G7の大使たちが欠席を表明したからといってイスラエル不招待の判断は変えない、とも述べた。ここで鈴木市長は昨年4月就任であることに注目したい。22年時点で市長職に就いていれば、今回だってロシアとベラルーシを含む世界の全諸国を招待したかったのでは。彼はそんな思想と政治信条の主であるようにぼくには思えて仕方がないが、はたしてどうなのか。
いずれにせよ、今回ふたつの被爆都市は歴史ある平和式典への対応に大きな違いをみせたわけだ。国際社会は混迷のさなかにあり、この国の外交政策もさほど堅固ではない。この現実はぼくを大いにモヤらせる。