池乃めだかが語る 吉本芸人“酒豪3傑”の飲みっぷりと生き様
それやのに中学卒業後、三洋電機に工員として入社して、だんだん酒のイメージは変わっていきよった。周りはほとんど大人。当然、酒の席が増えますわね。人それぞれやけど、たいがいが陽気になるでしょ? 酒もエエもんやな、と。そのうち上司から「おまえオモロイから」言われて、宴会部長を任されるようになったんです。
プログラム考えて、ベニヤ板に鉄線張ったニセモンのエレキギター抱えて、カツラかぶった仲間とビートルズのマネしてみたり……。それがお笑い、芸能へのきっかけになったんやからホンマ世の中、わからんもんです(笑い)。
デビューは1966年。吉本興業に入ったのは76年です。当時は良し悪し別にして破天荒な芸人が多かった。「芸人たるもの、普通にしとって何しとんじゃ。せやから売れんのじゃ」いう時代。
■横山やすしは水割り2杯で人格が変わった
その頃の吉本酒豪ベスト3はまず4代目林家小染師匠。よーけ飲みはるし、酒癖もよろしくなかった。朝から酒臭いのは当たり前。京都花月では酔っぱらった揚げ句、高座に上がってチン○ン丸出しですよ。「そんな粗末なモン、見に来たんちゃうぞ」ってやじられても平気の平左。最後は酔った揚げ句に居酒屋から道路に飛び出して、トラックに轢かれて亡くなられはりました。