学習院と距離を置いてきた悠仁さまに回帰の兆し…学習院大学進学も視野か
「眞子さんの受験は両親の許可を得てのもの。秋篠宮さまは子どもの自由意思を尊重する考えの持ち主ながら、慣習を破るには相当な覚悟が必要だったはず」
眞子さんがICUに入学した10年4月、悠仁さまもお茶の水女子大付属幼稚園の3年保育に入園している。
■「幼稚園に3年保育がなかった」以外の飽き足りなさとは
「秋篠宮さまたちは3年保育を希望していたのですが、学習院には2年保育しかなかった。しかし、それは表向きの理由に過ぎず、学校の在り方そのものに見切りをつけていたのでしょう。ご自身の経験から飽き足りなさを感じていて、もっと高い水準の教育を受けさせたいとの気持ちがあったようです」(宮内庁OB)
ただ、秋篠宮家の学習院離れの決断が波紋を呼ぶのは必至だった。それでも踏み切ったのは、先鞭をつけた皇族がいたからだ。高円宮家長女の承子さまである。学習院女子大在学中に英エディンバラ大に留学。その後、学習院女子大を中退し、エディンバラ大の本科生となった。08年には同大も中退すると早稲田大に入り直した。