資生堂(下)コロナ禍で業績悪化し経営トップ交代…藤原憲太郎社長は「伝家の宝刀」も抜いた
「社長の魚谷雅彦は2024年まで続投」。役員の任期は延長しても最長6年で、19年度が6年目だった。
役員指名諮問委員会は好業績を評価し、続投を答申。10年間、経営トップを務めることになった。1987~97年に社長だった創業家出身の福原義春以来の長期政権となる。
これには関係者が驚いた。マーケティングのプロは、短期間で業績を上げるのが常で、10年も続けるのは極めて異例だ。再生請負人はあくまで中継ぎリリーフで、完投型ではないからだ。
懸念は的中した。20年からの新型コロナ禍で、インバウンド(訪日観光客)の波に乗って急成長した魚谷流経営は窮地に立たされた。
急成長をもたらしたのは中国事業だったからだ。「SHISEIDO」など高価格帯のプレステージ化粧品が大きく伸びた。もうひとつ伸びているのは、各国の空港免税店のトラベルリテール事業。日本事業が伸び悩むなか、中国と免税店の2事業が気を吐いてきた。
爆買いの代名詞となった中国からの女性観光客を、百貨店の化粧品売り場に誘い、プレステージ化粧品でお化粧してもらう。女性客が帰国する際に空港の免税店で購入、帰国後はネットでプレステージ化粧品を注文する。魚谷が最も得意とするプレステージ化粧品とボーダーレスマーケティングの成果である。
魚谷は中国からの爆買いのインバウンド需要を取り込むことに成功した。
だが、新型コロナ禍で雲散霧消する。入国制限により、最大の顧客だった中国観光客のインバウンド需要が消えた。
どうやって巻き返すのか。魚谷が取ったのは、中国への進出を加速させることだった。
しかし、ロレアルやエスティローダーなど競合との安売り競争に巻き込まれた上、転売による超割安の商品が市場に出回るようになった。
中国の女性の間で資生堂化粧品はもはや憧れのブランドではなくなった。
日本ではマスクが定着し、化粧品販売がコロナ前を下回り、とうとう20年12月期に8期ぶりに連結最終赤字に陥った。かつては看板商品だったヘアケアの「TSUBAKI」など日用品事業を売却するなど構造改革に追われた。
業績悪化を受けて、23年1月経営トップが交代した。藤原憲太郎常務が社長に昇格し、魚谷社長は会長に就いた。
三顧の礼で迎えた手前、あからさまな人事はできなかったが、事実上の更迭である。