戦後に自決 特攻作戦の責任者だった大西瀧治郎の矛盾と混乱
陸軍の特別攻撃隊による体当たり攻撃が実行される前に、海軍では第1航空艦隊司令長官の大西瀧治郎(写真)が特攻を主導していたというのが一般的な受け止め方だった。実際に特攻作戦が現実化していくのは昭和19年10月からだが、その契機は第26航空戦隊司令官の有馬正文がアメリカ軍の艦隊に自…
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