兵士の食事は定量の1割で戦った 6日間絶食の部隊もあった

参謀本部作戦部は、昭和18年1月下旬をガダルカナルの再攻撃開始と想定し、それまでに兵力を増強するとか、兵員や軍需品を輸送するとか、計画だけは立てている。制海権、制空権が確保されているなら、補給も行われるだろうが、現実にはどちらもアメリカ軍の側に押さえられつつあった。
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