ガダルカナル戦で日本兵2500人が一夜にして全滅した理由

太平洋戦争の第2期ともいうべき昭和17年6月から翌18年4月までの間は、「挫折」の期間といえるだろう。そのつまずきの第一歩はミッドウェー海戦であり、続いての負け戦はガダルカナル戦であった。
ガダルカナル島はソロモン群島のひとつで、四国の3分の1程度の広さであった。ここに…
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