蒋介石は汪兆銘を「恥知らずの徒」と罵った 侮蔑の表情も
汪兆銘の担ぎ出し工作は、実は昭和13年の早い時期から準備されていた。蒋介石政府の軸である国民党の副総裁、汪兆銘に照準を絞って親日政権をつくらせようとの思惑が、日本の参謀本部の情報、謀略担当の将校の間で画策されていた。国民党中央宣伝部長の周仏海や梅思平らと日本側の今井武夫や影佐機…
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