「武力を用いても君主政体を維持させる」と突っぱねた内田康哉
山県有朋が辛亥革命(明治44~45年)で清朝帝政を倒した孫文らの革命派に軍事干渉しようと考えていたことは、いくつかの資料によって明らかになっている。革命の成功が見えつつある頃、犬養毅は頭山満らと中国に戻った孫文らを励まし、中国の革命派の同志たちとも会って今後の交流についても意見…
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