山県有朋が辛亥革命を恐れた理由 共和政体に不安ないし怯えを抱いていた
明治期から大正期への移行にあたって幾つかの注視しておくべき点がある。それは明治44(1911)年10月の辛亥革命である。孫文の革命派は武昌での蜂起に始まり、漢陽などを制圧していき、列国もこれは清朝政府に対する暴動のようなものではなく、統制の取れた革命勢力による政権奪取であると容…
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