智弁和歌山で甲子園 ヤクルト武内が語る高嶋監督の“鬼指導”
■学校の近くで一人暮らし
ルールを守らない時には過酷な罰走もあった。
「これがまたキツいんですよ。3年の時、体育の授業で何人かが1500メートル走をショートカットしたのを監督に見られてしまった。もうカンカンですよ。『3年は、1日で100メートルを100本、3日間やれ!』と。呆然としながら、ただひたすら走り続けました。50本ほどやったところで、主将の僕が監督に呼ばれた。『もう無理ですと言え』という雰囲気だったので、正直に言ったら、『100本を3日に分けてやれ』と。甘くなかったですね(笑い)」
智弁和歌山は1学年10人の少数精鋭。寮がないため、神戸出身の武内は学校の近くで一人暮らしをしていた。自宅の最寄り駅の隣の駅前の食堂で腹ごしらえをした。
「一人暮らしは慣れれば苦にならなかった。寮ではないからプライベートの時間もちゃんとありましたし、部員が少ない分、甲子園時の宿舎は一人部屋で楽でした。まあ、僕は幸い、1年夏から甲子園に出ることができましたけど、1回も甲子園に行ってなかったら、野球を続けられていたか、わかりませんね(笑い)」