重圧以外にも要素数々…吉田沙保里はなぜ五輪V4を逃した
■2016年は試合ゼロのまま本番へ
12年9月の世界選手権を制しアレクサンドル・カレリン(ロシア)の記録を抜いて同大会13連覇を達成。今大会も金メダル候補の最右翼だった「霊長類最強の女子」は、なぜ4個目の金メダルを取り逃がしたのか。
「絶対に勝たなければいけない今回の五輪は一番、苦しかった」との伊調の言葉を借りるまでもなく、同様に五輪4連覇のかかる吉田も重圧にさらされた。登坂、伊調らほかの代表選手が調整を兼ねて海外の大会に出場する中、吉田はリオ五輪出場が内定した昨年12月の天皇杯を最後に試合から遠ざかった。栄チームリーダーら周囲から出場を促されても本人はかたくなに拒否。万が一、海外の大会で不覚をとれば、不安を残したまま五輪に臨まなければならないため、あえて国内で練習を積んできた。それだけ重圧があったのだ。
ここ数年は海外の若手が着実に力をつけ始め、12年W杯の団体戦決勝でロシア選手に土をつけられたのは記憶に新しい。「打倒吉田で来るのは分かっていた」と話した通り、対戦相手から徹底的に研究され、これまで楽に勝っていた選手にも苦戦することが珍しくなくなっていた。