“外れ”で5球団競合 ロッテ1位佐々木は自由奔放な強心臓
「都立の星」。プロを目指す球児の多くが私立の強豪校に進む一方、佐々木が通ったのは東京都下の日野第八小学校、三沢中学校、日野高校と、桜美林大学以外はすべて公立。生まれも育ちも日野というごく普通の子供で、高校の成績も「クラスで40人中20番目」(本人)と真ん中だったが、野球の才能は非凡だった。
少年野球時代の恩師、日野イースタンジュニアの石阪誠代表は「初めから試合運びがうまく、相手の4番打者には気合を入れる一方で、下位打線には手を抜いて投げるなど、1試合を投げきるための組み立てをしっかりしていた。小柄な体形と名前から『ちい』と呼ばれていましたが、体のバネと丈夫さは一級品でした」と話す。
■負けず嫌い
小学校2年から現在までの15年間、同じ学校で野球を続け、高校まで捕手としてバッテリーを組んでいた桜美林大の吉野広輝(22)は「走るのも打つのも1番じゃないと気が済まないタイプで、実際に全部トップでした。負けず嫌いで完璧を追い求める気持ちが強い分、うまくいかないことがあると、よく泣いていました。サッカーをやめて野球に来たときも泣いていた」と明かす。