“県外部隊”で2勝 明秀学園日立の監督は「革命」を強調
「ゼロからのスタートでした。甲子園に行く、甲子園で勝つという気がない雰囲気でした。口では『甲子園に行きたい』と言いますが、甲子園を知る私からすれば、これじゃムリだよ、というのが正直なところ。学校、選手、父兄の意識を変えないといけない。甲子園に行くための本気度というのがありませんでした」
――最初の夏(13年)は県8強だった。
「霞ケ浦に負けて帰って来たらグラウンドで選手と父兄が笑いながら写真を撮っていた。父母会長に『ここまで連れて来てもらってありがとうございました』と言われ、『えー』って。衝撃的でした。ベスト8でいいのって。意識から変えていかないといけなかった」
――設備は?
「ボクが就任する絶対条件としてお願いしたのは、寮の設置だった。ところがボクが来ても寮がなくて……。就任して1年後にようやく寮ができて、ほぼ全寮制にして、そこからがスタートだったと思います」
――15年に暴力事件が起こり、2年生だけが出場停止になるという苦難も。