「小山ちれ事件」と「智和」の名前に込められた親心
日本に限らず、他国籍を取得する中国選手は少なくない。日本への帰化は特別だ。勝ち負けが絡むだけになおさら、暴力的な摩擦を生じる可能性さえはらむ――宇さんは、広島アジア大会の年にたまたま日本で、その騒ぎの一部始終を見ていた。
■魯迅が留学した東北大
待望の長男が生まれたのは2003年6月27日。不安がなかったと言えばうそになる。
「智は知恵です。人が人らしく生きていくための道具です。和は平和です。私たちは長いこと祖国を離れていますから、仲良く暮らす大切さを学んできました。智和を帰化させる考えはなかったんですよ」
キラキラネームと程遠い「智和」という、日本でも中国でも通用する名前を選んだところに、将来、どうなっても困らないようにという親心がのぞく。そして、母親の凌さん(45)は卓球をさせるつもりもなかった。
「智和に本当は東北大学に行って欲しかったの。ルーシュン先生が学んだ大学は私たちにとって東大よりも憧れの学びやですから」