金足農の準優勝が秋田の高校スポーツに風穴をあけてくれた
私は1984年、30歳で現役を引退。プレーヤーに未練はなかった。高校生たちに「勝てるサッカー」を教えたかった。
秋田県に向かった。母校ではなく、秋田経法大付属高(現明桜高)サッカー部の監督に就任するためである。
1年目の6月に秋田県予選を制し、東北大会で優勝を飾った。インターハイでベスト8入り。翌年には高校選手権にも駒を進めた。母校の関係者から「裏切り者」と罵倒されることもあった。
「地方の高校スポーツを活性化させるには<刺激>が必要となる」。私はそう考えた。秋田経法大付属高が全国からタレントを集め、先進的な戦術を駆使して強さを見せつけることで秋田県サッカー全体のレベルが上がる! かたくなにそう信じた。
秋田県の高校スポーツが、かつての強さを取り戻すには、どんな方策が必要なのか? 常に世界を意識しながら有能な選手、経験豊富な指導者を他県から、そして他国から積極的に“輸入”して高いレベルで切磋琢磨したい。
いつまでも金足農フィーバーに酔いしれていてはいけない――。