伝説のコーチが初激白<上>阿部慎之助は指導者の資質がある
■新人時代に遅刻で正座
こんな思い出がある。
2001年、中大からドラフト1位で入団した阿部が新人時代のことだ。開幕から正捕手を務め、疲労がピークに達した夏前のこと。ビジターで練習量が減る横浜スタジアムや神宮で試合がある日は、若手がジャイアンツ球場に集合し、「朝練」を行っていた。10時半開始で打撃練習を行うのだが、夏前のある日、当時の長嶋茂雄監督に「慎之助は朝練を休ませたらどうかな」と言われた。
きついのは分かるが、私は「このままやらせます」と言い、「他の若い選手に分からないように時間を短くしたり、こちらから話をしながらスイング量を減らすなど配慮はします」とお願いした。特別扱いするのは阿部のためにならないと思ったからだ。長嶋監督は「分かった~」と了承してくれ、以後二度と言わなかった。
ある日、ナイター明けの阿部が朝練に10分ほど遅刻してきた。私は室内練習場のケージ横に正座をさせたまま、打撃練習を見学させた。今の時代なら「パワハラ」で即クビだろう。プロの世界に入ったのだから、1分、1秒の大切さを自覚して欲しかった。
人懐こくて素直な性格。バットの返しが早いなと思い、「大きなソフトボールを打ってみたら?」と勧めたことがある。バットに乗せる感覚を思い出すためだ。
すると、すぐに自分でソフトボールを買ってきてロングティーをやっている。「うまく振り抜かないと、ドライブがかかって、うまく回転していかないんですよ」と言いながら、試行錯誤。非常に貪欲だった。「体を前に出さないために、こんな練習法があるよ」と進言した「ツイスト打法」もすぐにトライ。マスターしたことで2000安打を達成した。引き出しが多いだけに、若い選手に分かりやすく伝えられる指導者になると思う。
(取材・構成=増田和史/日刊ゲンダイ)
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▽うちだ・じゅんぞう 1947年9月10日、静岡県生まれ。東海大一から駒大。13年間の現役生活はヤクルト、日本ハム、広島で主に外野手としてプレー。計950試合出場で打率・252、25本塁打。82年に現役引退後、83年に指導者に転身。広島、巨人で打撃コーチ、二軍監督などを歴任し、多くのタイトルホルダーを育てた。巡回打撃コーチだった今季限りで巨人を退団。初めてユニホームを脱ぐことになった。