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権藤博野球評論家

1938年12月2日、佐賀県鳥栖市生まれ。鳥栖高からブリヂストンタイヤを経て61年に中日入り。1年目に35勝19敗、防御率1.70という驚異的な成績を挙げ、最多勝や沢村賞などタイトルを総ナメに。連投に連投を重ねる姿に「権藤、権藤、雨、権藤」の流行語が生まれた。68年に現役引退後は各球団の投手コーチを歴任。横浜で初の監督に就任した98年にはいきなりペナントを制し、38年ぶりの日本一に導いた。

清原和博の表情は「微力ながら応援したい」と思わせた

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 球場入りしてからの清原は物静かだった。スポーツ紙によれば、彼が公の場でユニホーム姿を披露するのは、1406日ぶりのことだという。照れくさかったのだろう、緊張もしていたのだと思う。仲のいい大魔神と一緒にはしゃぐわけでもなく、ロッカールームではクールな印象だった。

 それが、グラウンドに出てしばらくすると、パッと顔が明るくなった。ファンサービスのエキシビションとはいえ、4番打者として自分の名前が呼ばれると、一段といい表情になった。

 試合の相手は小学生とはいっても、通常のマウンドの数メートル手前から投げるから、中には120キロ近い速球を投げるピッチャーもいた。清原の1打席目は詰まって一塁ファウルフライ。太鼓のように張り出した腹をゆさゆさと揺らし、いかにも体は重そうだったが、スピードやキレはともかく、スイング自体の形は往時とまったく変わらない。

■大魔神も立浪も

 表情、バットスイングを見て、やっぱり清原は野球人だという思いを強くした。グラウンドが似合うし、ユニホームが似合う。それは、佐々木も立浪も一緒。引退後、指導者として現場に一度も立っていないというのは余りに惜しい。清原も7カ月後には執行猶予が終わる。罪を償えば、球界復帰に支障はない、というのが私の考えだ。あの日の清原の表情は、微力ながら、応援を続けたいと思わせるものだった。

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