ドラ1伊藤智仁は「投球美人」名言を生む“非野球人”の発想
ネーミングの妙は数えきれないが、すべて観察力の深さというようなところから生まれる。
よく知られているように、苦手のカーブ打ちを克服したのは、投手の指の間から白球の見える度合いで球種を見抜いたから。南海時代にブレイザーをヘッドコーチに起用したのは、日米戦で彼の守備位置の微妙な変化を見逃さなかったから。再生工場は、投手のフォームと球をよく観察したから成果を得た。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言ったのは、ポイントになるプレーをよく観察し、分析していたからだ。
ダルビッシュは、死球を与えた選手が一塁ベースへ到達、三塁コーチャーのサインを見るとき、視線が投手とクロスする、そのタイミングを待って帽子をとる。野手と目の合った時点で謝らなければ意味がない、と考えているからだ。
「彼はいつもそうしていると、野村監督が話していたというのを聞いたんです。そんなところまで見ているんだ、すごいと思いました」と、ダルビッシュがユーチューブで言っていた。