ロシア移籍のMF橋本拳人はチームを欧州の舞台に導けるか
小学校を卒業した橋本は、中学年代からFC東京の下部組織で順調に成長し、トップチームや期限付き移籍した熊本などを経て2015年にFC東京へ復帰した。
橋本自身はボランチでのプレーを希望していたが、恵まれた身体能力とポテンシャルの高さからCB、右SB、右サイドMFなど複数のポジションでプレーできるユーティリティープレヤーとして存在感を示した。
ところが2016年はプレーオフからケガ人が続出。リオ五輪の代表候補に選出された橋本に対して、FC東京の城福監督はケガ人による選手層の薄さから、橋本が五輪候補のキャンプに呼ばれることに難色を示した。
そして代表メンバー発表前の最後のテストの場であるトゥーロン国際大会(フランス)を〈ACL出場を優先する〉ことを理由に辞退することになり、橋本はリオ五輪のメンバーから外れた。FC東京のチームメイトであるSB室屋成、MF中島翔哉の活躍をテレビで見守るしかなかったが、その頃から日本代表への思い入れは人一倍強かった。
転機となったのは2019年3月である。