横綱・白鵬“電撃引退”の全舞台裏と親方への試練 運命を握る2度目の「年寄資格審査委員会」
これほど賛否のある横綱も過去にいなかったのではないか。
27日、相撲協会に引退届を提出した横綱白鵬(36)。歴代最多の優勝45回をはじめ、さまざまな記録を塗り替えた一方で、物議を醸した言動は枚挙にいとまがない。
土俵上では顔面狙いのヒジを振り回し、優勝インタビューでは万歳三唱や一本締め。成績だけでなく、下品な素行も突出していた。
■有終の美に向けた演出
すでに日本国籍を取得し、「間垣」の年寄名跡も今年5月に手に入れた。いつ引退してもいいというか、休んでは出るの繰り返しでここまで現役でいたのが不思議なくらいとはいえ、なぜ、このタイミングで引退を決意したのか。先場所は全勝で45回目の優勝を果たしたばかり。その時に引退を発表していれば、文字通り有終の美を飾れたはずだ。
予兆はあった。先場所中、白鵬は弟弟子の炎鵬を付け人にしていた。付け人は本来、幕下以下の力士がやるもの。それを「内弟子」扱いの十両炎鵬にやらせたのは、最後の花道を飾るための演出ともっぱら。本場所が行われている名古屋に家族を呼んで観戦させたこともしかりだ。
それが本人も予想外だったという全勝優勝で、「まだ現役を続けられそうだ」と思ったのかどうか。
■目前だった節目の900勝
親方のひとりは「仮に現役続行でも、何場所も取れたとは思えない」と、こう続ける。
「白鵬は秋場所前の合同稽古に出席。相撲は取らず、他の力士に胸を出すだけにとどまっていた。現場にいた親方に聞いたら、『体がボロボロ。あと2週間で本場所だけど、あれではとても無理ですよ』と話していた。近年は出場と休場を繰り返してきた白鵬にとって、2場所連続出場はハードルが高い。それでも引退をしなかったのは、せめて東京五輪の間は現役でいたかったからではないか。前回1964年の東京五輪はレスリング選手だった父が出場したとあって、本人も思い入れがあった。さらに、白鵬は先場所終了時点で横綱通算899勝。あと1勝でキリのよい数字になったことも無関係ではない」
先の9月場所強行出場で横綱通算900勝を達成してから引退。ボロボロの白鵬でも、今の低レベルの土俵なら1勝くらいはわけない。
そんな青写真が本場所前のコロナ騒動で吹き飛んだ。同じ宮城野部屋の北青鵬が感染し、その数日後に幕下以下の力士が感染。宮城野部屋に所属する全力士は休場を余儀なくされた。
あと1勝なら、次の11月場所まで待つ手もあったはず。1場所休場すれば調整にもプラスだが、「さすがに残り1勝のために、2カ月以上も集中して稽古をする気力が湧いてこなかったのでしょう。引退後を考えれば、なるべく早く親方になった方がいいという考えもある。かつて大鵬さんと柏戸さんの『柏鵬時代』に横綱を張った佐田の山さんがそうだった。同じ横綱といえど、土俵では到底2人にはかなわない。『ならば2人より先に引退し、親方として出世してやろう』と、2場所連続優勝した翌場所にさっさと引退。その後は出羽海親方として、理事長にまで上り詰めたからね」(前出の親方)。
親方になるための条件はクリアしたが…
白鵬も引退後は親方になり、相撲協会理事を経て、ゆくゆくは理事長に……という野望があるといわれる。しかし、そもそも現時点では親方になれるかどうかも不透明なのだ。
古株の角界OBは「確かに白鵬は国籍など、親方になるための条件はクリアした」と、こう続ける。
「しかし、条件クリア=親方就任ではない。親方になるためには、年寄資格審査委員会による2度の承認が必要になる。年寄名跡取得の許可を得るときと、取得した名跡を襲名するときです。白鵬はすでに1度目のハードルは越えたものの、審査委員会では反対意見も多かった。成績はともかく素行面での失点が大きく、『稽古の面倒はともかく、大相撲のしきたりや所作などは、むしろ白鵬が誰かに教わった方がいいんじゃないか』というわけです。1度目ですらそうだったのだから、近日中に行われる2度目の審査委員会でも反対多数となりかねません」
ちなみに年寄資格審査委員会で承認されず、親方になれなかったのはただ一人。八百長の仲介役として活動し、後に当時のことを告発した元小結・板井圭介のみだ。
引退する白鵬はどんな親方になるかより、まずは親方になれるかどうかの問題を突きつけられている。