<5>決勝Gを決めた伊東純也の写真が未掲載…後ろ髪引かれつつオマーンを去った
「三笘(薫=サンジロワーズ)も中山(雄太=ズヴォレ)も先発で出ても全くおかしくない。ポジション争いはニュートラルに見て、今後決めていきたいと思います」
16日のカタールW杯最終予選の天王山・オマーン戦(マスカット)を1-0で制した後、ホテルに戻ってからオンライン取材に応じた日本代表の森保一監督は、若手の台頭を大いに喜んだ。2022年からはベテランと若手を含めた本格的なサバイバルが始まる。それは日本サッカー界にとって非常にポジティブと言っていい。
オマーン戦後の取材は長時間に渡った。現地時間16日午後10時(日本時間17日午前3時)に試合が終わり、森保監督と殊勲の決勝ゴールを決めた伊東純也(ゲンク)のリアル会見が行われた後、代表チームは二手に分かれて移動したからだ。
国内組と日本サッカー協会の反町康治・技術委員長はマスカット空港に直行。一目散に帰国の途に就き、それ以外の森保監督らスタッフと海外組の選手たちはホテルへ移動。食事を取ってから三々五々、オンライン対応に臨んだ。
時間的余裕のなかった10月のサウジアラビア戦(ジェッダ)の試合後は、吉田麻也(サンプドリア)と遠藤航(シュツットガルト)の2人だけがインタビューに応じたのみだったが、今回はややゆとりがあったせいか、伊東や吉田、三笘や中山に加え、冨安健洋(アーセナル)や古橋亨梧(セルティック)まで登場。長時間話をしてくれた。
そしてラストの森保監督の話が終わったのは、現地午前1時45分(日本時間午前6時45分)。筆者は日本の昼までに3本の締め切りがあり、2時間仮眠して朝8時半までぶっ続けで記事を書き続けた。時差5時間の中東での試合時は非常にハードなのだ。
伊東ではなく堂安の写真が
その直後、前日受けたPCR検査の結果を聞くために隣の病院へ赴いた。結果はもちろん陰性。オマーンの証明書に加え、日本フォーマットの書類にサインしてもらい、帰国できる体制は整った。
この一連の作業はコロナ禍の海外取材に行くたびに必要になる。一度経験しておくことは先々に向けて重要だと痛感した。
その後、前夜のオマーン-日本戦の新聞記事をチェックしようとガソリンスタンドのショップで「オマーン・オブザーバー」と「マスカット・デイリー」の現地紙2紙を購入。スポーツ面を開いたところ、前者は一面に渡って冨安の写真が大々的に掲載されていた。記事のタイトルは「伊東のゴールで日本が勝利」とあるのだが、なぜか伊東の写真は使われていない。やはり英・プレミアリーグの名門クラブ所属選手の方が知名度が高いという判断なのだろう。
後者の記事は小さめで、写真は独・ブンデスリーガのデュエル王・遠藤航。やはり欧州5大リーグ優先というのが伺える。伊東もコロナ禍でなければ、今夏の格上クラブ移籍が実現した可能性も高かっただけに残念だ。来年のカタールW杯でスターになるべく、貪欲にゴールを重ねるしかないようだ。
観光名所のマトラスークへ
こうして日本代表は一足先にオマーンを離れたが、筆者のフライトは18日午前2時45分。夕方まで休息を取り、現地最後の夕食を取ろうと思って観光名所のマトラスークを訪れた。
美しい港と市場のあるこの地には、オマーン初訪問の2004年に一度足を踏み入れたことがあるのだが、17年ぶりの再訪はなかなか感動的だった。コロナ禍で観光客の姿はまばらだったが、土産物屋やタクシーの客引きは活発だ。2年間も海外から遠ざかっていた分、彼らのしつこいアピールも新鮮に映った。
店先に並んでいるオマーン帽を手に取っていると、店員が手際よくスカーフを頭に巻いてくれて、簡易ロングドレスを着せてくれた。購入しなかったが、こうやって観光地の店を回るのも久しぶり。
海外取材の醍醐味を実感
その後、レストランで食べたエビとマトン料理のおいしさも含め、海外取材の醍醐味を改めて思い出すことができた。日本に戻った後は最低10日間の隔離生活を余儀なくされる分、外の空気を満喫できたのは非常に楽しかった。
そして深夜に空港へ移動。入手済みのPCR陰性証明書を提示すると問題なくチェックインが完了し、搭乗券をもらえた。これであとはフランクフルトを経由して羽田空港に到着するだけ。
わずか6日間ではあったが、後ろ髪を引かれる思いでオマーンの地を後にした。 =つづく