中日・近藤貞雄監督は大恩人 試合前には選手たちにビールを飲ませていた
■高木守道さんは“スピード狂”だった
この時代、作戦守備コーチだったのが、後に監督になる高木守道さんだ。短気な性格で「瞬間湯沸かし器」と言われた。86年の代理監督時代は、審判の判定に食ってかかることもあったが、普段は穏やかで物静か。私が打撃の調子を崩すと、「おい中尾、ちょっと来い」とグラウンドの隅や人目につかない通路に呼ばれ、「今はこうなっているぞ。ここを直したら良くなるんじゃねえか」と打撃のアドバイスをくれることがあった。
「こっそり」教えてくれるのは、数人在籍していた打撃コーチに気を使ってのことで、内容も的確だった。守道さんのおかげで、スランプから脱することができたこともある。
当時、北陸遠征は現地集合だった。金沢での試合の際、守道さんに「オレの車で一緒に行くか?」と言われ、同乗した時のことだ。
通常なら3時間かかるところ、1時間半ほどで着いてしまった。確かベンツだったと思う。何キロで疾走したかは秘密だが、後にも先にも車であれだけの速さを体験したことはない。同乗している時にスピード違反のオービスが光り、「切符を切られたわ」と頭をかいていたのは一度や二度ではない。
球界一の「スピード狂」といっていいほどだが、守道さんはゴルフの腕前もスゴかった。