中日1年目は年俸700万円なのに、その年のオフには500万円の副収入が
中日はシーズン最終戦になると、ナゴヤ球場にゴルフコンペの日程が張り出される。11月の秋季練習終了後から年内まで数にして15ほどで、そこの日程表を見て参加できるコンペに丸をつけていくのだ。私の場合、3日に2回はゴルフの予定を入れた。1回の優勝賞金はだいたい20万~30万円。さらに土、日の野球教室やサイン会でもギャラが出る。1年目の年俸は700万円だったが、オフの行事で稼いだ副収入はざっと500万円ほどになり、驚くと同時に、プロ野球選手になったことを実感したものだ。私は競馬が好きで共同馬主にもなっていた。今の時代、競馬好きの選手は多いが、当時はあまり表立ってはできなかった。
2年目からはシーズンが終了すると、真っ先にゴルフの打ちっ放しへ行って500球ぐらい打ち込んだ。1年目に「絶対にゴルフバッグを送れよ」と言われた通り、春のキャンプでも休日はほとんどゴルフ。一番の腕前は、当時投手コーチだった権藤博さんで、細身の体格なのによく飛ばす。小技もプロ級でスコアは常に70台前半。悪くても70台後半で回った。ハンディキャップは0か1。次は高木守道さんでハンディは3か4だった。選手では小松辰雄が75前後。背筋力が300近くあるため、ドライバーで300ヤードは軽く超えてくる。牛島和彦、宇野勝、そして私が続く感じだった。