入団2年目にセ捕手初のMVP その年の大洋戦の大逆転負けが正捕手定着の契機に
中日入団2年目の1982年、2勝2敗で迎えた西武ー中日の日本シリーズ第5戦で、平野謙(中日)の長打になる当たりが一塁塁審を直撃。二塁走者が封殺される通称「石ころ事件」に遭遇した。意気消沈し、この試合を落とした中日は、2勝3敗で迎えた第6戦で、3番手の鈴木孝政さんが片平晋作さんとテリーに2者連続でバックスクリーンに叩き込まれ、2勝4敗でジ・エンド。西武の方が一枚も二枚も上だった。
昨年の日本シリーズは、9年ぶりにセ・リーグのヤクルトが制したが、当時もパ・リーグの力のある野球に度肝を抜かれることが多かった。苦い思い出となったが、個人的には24打数9安打、打率.375で優秀選手賞をもらうことができた。
この年、5月に仙台で行われた大洋(現DeNA)戦で、大きな出来事があった。9ー6と3点差をつけた九回2死走者なしから、鈴木孝政さんが長崎啓二さんに逆転サヨナラ満塁弾を浴びたのだ。
ただ、私にとっては“後押し”となった。新人だった前年に正捕手の座を争い、高い壁となっていた木俣達彦さんが、その試合で捕手を務めていたのだ。ショッキングな敗戦後、私はスタメンマスクをかぶり続けることになる。この年、中日は「野武士野球」といわれるイケイケ野球で、最終130試合目にリーグ優勝を決めたのだった。