初キャンプで「地獄のランニング」プロ入り2度目のカルチャーショック
新人時代の1月の終わり頃、2月からのキャンプのための荷物出しがあった。当時の中日は宮崎県串間市で行っていた。すると先輩が私にこう言ったのだ。
「中尾、荷物を出す時に一番最初に積むのは何か分かるか?」
「バットですか?」
「違う! 棒は棒でもゴルフのクラブの方だ!」
「野球のキャンプなのにゴルフクラブを持って行くんですか?」
「そうだ。かなり大事だぞ。休みの日は毎日やるからな」
当時の中日は野球用具でもないゴルフバッグを堂々とチーム便で送ることができた。私はプリンスホテル時代、1年に1、2度コースに出ていたため、一応、心得はあった。
1981年の初めてのキャンプが始まると、とてもゴルフどころではなかった。初日は朝の9時半に練習開始。ウオーミングアップだと思っていたランニングが、いつまでたっても終わらない。短距離ダッシュから長い距離のものまで、気が付くと2時間以上が経過。時刻は正午になろうとしていた。アマチュア時代にこんなに走ったことはない。順大陸上部出身の先生がトレーニングを指導していて、最初の第1クールは地獄だった。入寮日に川又米利の打撃練習を見た時以来、プロ入り2度目のカルチャーショックを受けた。