落合博満さんとの1対4トレード要員となった牛島は星野監督に「僕が何かしましたか?」
春の沖縄キャンプ。休日前夜に繰り出したクラブで、先日殿堂入りを果たした山本昌が、美女2人組に声をかけた。聞けば2人は東京から来ているという。みんなで飲んで騒いで解散。すると後日、昌はそのうちの一人と1回目の結婚。私たちは「えー!」と驚いたのだった。
昌は1988年に中日が業務提携していたドジャースに野球留学。後に生命線となるスクリューボールを覚えた。球持ちが長くなり、別人となって帰国。無尽蔵の食欲とスクリューボールが、現役32年間で219勝を挙げる「武器」となった。
その2年前、86年オフに球界を震撼させるニュースが駆け巡った。
中日とロッテの間で2年連続3度目の三冠王となった落合博満さんと、先発、抑えとして活躍していた牛島和彦を筆頭に、上川誠二、平沼定晴、桑田茂との1対4の世紀の大型トレードが決まったのだ。
就任したばかりの中日・星野仙一新監督が、当時トレードで巨人入りがウワサされていた落合さんを獲得するために仕掛けたトレードだった。ただ、この時の牛島はバリバリの全盛期。星野監督とは師弟関係で、ショックを受けた牛島は当初、移籍を渋ったそうだ。