中日・近藤貞雄監督は大恩人 試合前には選手たちにビールを飲ませていた
中日・近藤貞雄監督は時代を先取りした人だった。投手コーチ時代、日本球界に「投手分業制」を導入した。さらに巨人の緻密で守備的な野球に対抗するため、「野武士野球」と言われた谷沢健一さん、大島康徳さん、田尾安志さん、宇野勝、モッカらを中心とした重量打線を形成。打ち勝つ野球を掲げた。
優勝が決まる最終戦など、緊張する試合前にはナインにビールを飲むように勧め、自ら真っ先に飲んでいたこともある。あまり飲めない私は遠慮したが、真に受けた宇野は勧められるがままに飲んでしまい、真っ赤な顔のまま試合に出たことが何度もあった。そんな豪快さがクローズアップされる一方で、近藤監督には緻密な計算があった。
捕手として肩の強さが武器だった私を正捕手に抜擢したのは、盗塁阻止率を買ってくれたからだろう。近藤監督が就任する前に戦力外になりかけた平野を、1982年に中堅のレギュラーで起用したのは、俊足と守備力を評価したからだ。「センターラインの守備を強化する」という当時の方針は、現在は球界の常識となっている。近藤監督でなければ、私と平野はレギュラーになっていなかった。いわば恩人である。