巨人では藤田元司監督に“ノミの心臓”斎藤雅樹を「強気のリードで何とかしてくれと」
「『絶対に構えたところに投げろ』なんて言わない。“だいたい”でいい。内角“付近”“この辺”に投げればいいんだから」
■「気が弱いんじゃない! 優しいんだ!」
さらに“木に登らせる”くらい、おだてて褒めまくった。藤田監督も「斎藤、おまえは気が弱いんじゃない! 優しいんだ!」と諭したり、「投手は臆病でないといけないんだ。怖いということは、おまえがいろいろ考えている証拠なんだ」と言ったり、周囲は斎藤に自信を持たせようと必死だった。
前年までは左打者に対して外角一辺倒の投球になっていた。私は特に内角高めのボール球を多く要求した。右打者に対してもしつこく内角を攻めるように心掛けた。この頃は直球とスライダーの2種類のみ。途中からシンカーを使い出したが、それでも球種は少なかった。ナチュラルにスライドする直球を生かすことを考えた。
開幕マスクをかぶることになり、開幕ローテーションに抜擢された斎藤とコンビを組むことになった。大記録の起点となったのは5月10日の大洋(現DeNA)戦。その3日前の7日の広島戦で初回に31球3失点でKOされ、藤田監督に「今日のことはもう考えるな。次は10日に行くぞ」と告げられていた。
中2日での登板。七回まで1失点で抑えていたが、4点リードで迎えた八回に無死満塁のピンチを招く。藤田監督がマウンドに来た。前年までの王貞治監督時代は、絶対的守護神の鹿取義隆がリリーフとして毎日のように登板していた。交代だと思ったが、藤田監督は涼しい顔でこう言うのだった。(つづく)